交遊録:「宮沢明子さん」

ピアニスト 宮沢明子さんが今年4月ベルギーのアントワープでお亡くなりになりました。
宮沢さんは、63年ジュネーブ国際コンクールで第2位(一位なし)、64年ヴィオッティ国際ピアノコンクールで金賞を受賞され、その後、国内外で活発な演奏活動を展開されました。そんな日本を代表する女流ピアニストがしばしば当記念館を訪問くださっていました。そして唐九郎の死後「永遠の私のベートーヴェン」という追悼文を寄せてくださっています。謹んで宮沢明子さんのご冥福をお祈りするとともに、「永遠の私のベートーヴェン」をここに掲載させていただきます。。

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永遠の私のベートーヴェン

宮 沢 明 子

一九八五年十一月十日、私は名張の青少年センターでリサイタルを行った。そして名古屋のテレビ局が加藤唐九郎先生と私の番組を制作されたいとのことで、まず、私のピアノ演奏を少しずつとり出していた。お元気な唐九郎先生と久方振りにお会いしてお話出来る……と私はとても期待していた。しかしお身体があまり調子よくないことをうかがい、後日録画をとることにして、あの日はキャンセルとなった。まさか永遠にお話が出来なくなる……等と誰が思ったであろうか……。わずかあれから一ケ月少しで私達にさようならをおっしゃるなんて信じられなかった。
思えば顔をくしゃくしゃにして照れながら、でもとってもおいしそうに次から次へと出るお料理を全て召しあがり、実に楽しいお話をきかせて下さった十数年前の夏のその日、有楽町での先生との出会いは忘れられない。芸術家として、人間として、何と純粋で勉強家であったことか……。尊敬がつのるばかりで、私のコンサートにわざわざ新幹線に乗って、汗をふきふき上野の文化会館にいらっして下さったり、名古屋では殆ど顔を出して下さった。温かい思いやりあふれる言葉をいつも忘れずに下さった先生、私は先生をベートーヴェンと思っていつも、先生はきっと百歳まで創作を続けられると信じていた。人間味あふれる、火のような情熱を持った唐九郎先生に応援されたことは言葉では表現出来ないほどの嬉しさと感謝である。先生はスバラシイ作品の数々と共に、永遠の私達のベートーヴェンだと信じている.          (ピアニスト)