「唐九郎がいざなう心の旅」

第一回「氷柱」①

評論家武田洋平氏による書き下ろしエッセイ「唐九郎がいざなう心の旅」の連載がいよいよ始まります。第一回目となる今回は、唐九郎の初期の代表作「氷柱」にいざなわれ、武田さんの心は南欧ギリシャへと旅立ちます。

1回「霊峰オリュムポスの逆さ絵」

見込みを覗き込むと、赤茶がかった器の内肌をトロけるような白の釉薬が直下また斜行し、向きを変えて基底に広範な乳白色の澱を這わせている。外肌はと見れば、枡形に刻まれた白線により強調された白の領域が、赤さび色の地を完璧に抑え込んで見える。

昭和5年世に生まれ落ち、三井物産の総帥にして高名な茶人でもあった益田鈍翁(孝)により「氷柱」と銘された、此の唐九郎の逸品である志野茶盌は、二つの色が入り乱れての陣取り合戦により、よりアクティヴな存在感で迫ってくる。

許されて掌に載いたとき、凡そ半世紀ちかく昔、ハタチ台の半ば暫く生活の拠点を据えた北ギリシャでの初春の日々を思い出した。器の下部に延びた無垢にしてたおやかな白の輝きから、頂になごり雪を冠るオリュムポス(オリンポス)山がエーゲ海に落ち込み、波間に白きアイコンを投影することで生み出される色彩のコントラストを連想したのだ。今にして思うに、こんにちなお神おわします国に脚を踏み入れた遠来の旅人の目には、眩し過ぎるほどのカウンターパンチであった。

北隣のブルガリアに宗教美術研究で留学するにあたり、中世此の方ヨーロッパの東半分をキリストの威光で染め上げた東方正教のイメージを事前修得すべく選んだ地が、首都アテネに次ぐギリシャ第二の都会テッサロニキであった。新約聖書にも登場するかと思えばビザンチン時代の残影を諸処に垣間見せるといった、幾層にも異文明を吸い込んだ歴史的古都である。春まだきドイツから車を転がしてバルカン半島の南方にまで辿り着き、国境を越えて初めて立ち現れた大海を抱える此の町を適当に流していると、やがて静かな漁村に出くわした。ビーチに沿って長いプロムナードに面して、一階が茶房で二、三階が旅籠という瀟洒な白い建物が薄暮の中に輝いて見える。明らかにシーズン外れ、交渉の結果、驚くほど安く最上階オーシャンビューの一部屋を長期契約で借り上げることができた。

翌朝、南国特有の強い陽光を遮断すべく外に向かって四十五度傾く桟を抱え込み、大理石張りの床まで落ちる大振りな雨戸を開け放ってバルコニーに出れば、テルマイコス湾の遥か西方の対岸に、聖なる山が遠目に霞んで見えた。早朝営業の隣の食料品屋でハムとバターとチーズそれにパンをかき集め、バルコニーの小さなテーブルに其れ等をバラっとブチ撒けて朝食を摂ってみた。
眼下に展開する松林を透かし見れば、波も立たず静謐な海原の向こうから、役目を了えたランプの灯が徹夜の仕事ぶりを物語る小さな漁船が連なって入江に戻ってくる。烏賊釣りの船に見えた。マタイ伝には、ガリラヤの湖畔で投網の男たちを「人間を漁(すなど)る漁師に」とイエスが誘うシーンが嵌め込まれている。さすれば私も漁られるのだろうか。書き割りも登場人物も揃ってる。一瞬私は、神話世界のドラマの中に絡め取られたような気分に襲われた。
その日から、夜明けどきが待ち遠しく感じられるようになった。オリュムポスは山それ自体の形が蠱惑的であるのみならず、闇を突き破って東方より立ち昇る太陽を光源に、暗から明に至る時の経過の中でグラデーションよろしくシルエットとして海面に揺らめく逆さ絵もまた神秘性を補完し、二つながら此の世に於ける神の栄光を物語るに充分であった。その麓を縫うヨーロッパ自動車道路75号線で終着アテネにしばしば出かけたが、通りがかりに敬意と日頃の謝意を表すのを決して忘れはしなかった。

振り返れば、夢であり且つ現でもある朝のひとときこそ、畏れ多くも独り占めに成功した人間が神との合一感に浸れる一瞬であった。そのとき味を占めた独占欲は、いま掌中に浮き上がる「氷柱」でも鮮やかに再現されている。但し、対座の相手は天なる神ではない。その対極、陶土を求めて大地を彷徨う陶工・加藤唐九郎その人の魂である。

高台の静閑な住宅街に密やかに構える唐九郎記念館の庭の周囲を固める木々に宿借りしたヒグラシが、ゆく夏を愛おしむかの如く一斉に張り上げる惜別の歌を耳に掬い上げつつ、私は暫し至福のときに酔いしれるのであった。

「唐九郎がいざなう心の旅」ギリシャ編 完