唐九郎の歩み

加藤唐九郎年表

年号 (西暦) 年齢

明治31年(1898) 0 1月17日 愛知県東春日井郡水野村(現瀬戸市水野町
に父加納桑治郎、母みとの長男として生まれる

明治37年(1904) 6 4月、水野村尋常小学校入学

明治39年(1906) 8 内務省が愛知県猿投山から岐阜県東濃地方にかけて砂防工事を行い、それについて陶片を集める

明治41年(1908) 10 瀬戸町乗越へ移転

明治43年(1910) 12  瀬戸町立第一小学校卒業

明治44年(1911) 13 中根聞天塾で南画、漢文を学ぶ

大正3年(1914) 16 7月父の丸窯の権利を譲り受け製陶業を始める

大正5年(1916)18 製陶業の経営に失敗

大正7年(1918)20 11月キリスト教に帰依12月11日加藤きぬと結婚

大正8年(1919) 21  実業家を志し三共商事役員となるが、翌年退社

大正11年(1922) 24 同人雑誌『靭』に俳句・短歌・小説などを発表

昭和2年(1927) 29 藤井達吉の影響を受け、銘を廃す

昭和3年(1928) 30 11月加藤唐九郎調査「瀬戸古窯出土品展」開催

昭和4年(1929) 31 11月祖母懐へ移転

昭和5年(1930〉32 1月志野茶碗「氷柱」(益田鈍翁命銘)

昭和6年(1931) 33 10月第12回帝展に「黄瀬戸魚紋花瓶」初入選

昭和7年(1932) 34 4月大阪毎日新聞社の品野、赤津、瀬戸古窯調査に参加
9月美濃大萱の「窯下窯」発掘調査

昭和8年(1933) 35 3月『黄瀬戸』(宝雲舎)刊行、翌月「黄瀬戸」事件   11月『陶器大辞典』(宝雲舎)の編纂主任に就任

昭和9年(1934) 36 7月『陶器大辞典』第一巻刊行

昭和10年(1935) 37 3月守山町(現名古屋市守山区)翠松園へ移転

昭和12年(1937) 39 4月「新撰陶器辞典』(日本工業図書出版所)刊行

昭和13年(1938) 40 12月中国に渡り、4か月滞在

昭和17年(1942) 44 11月初個展「志野、織部新作展」(東京。高島屋)

昭和18年(1943) 45 12月猿投村越戸平戸橋(現豊田市猿投町)に疎開し、 古志戸窯を開窯

昭和24年(1949) 51 翠松園に戻る

昭和25年(1950) 52 1月「唐九郎作瀬戸黒茶わん展」(東京。黒田陶苑)
6月社団法人日本陶磁協会設立、理事に就任

昭和27年(1952) 54 3月織部焼で第一回無形文化財有資格者に認定

昭和28年(1953) 55 9月「加藤唐九郎新作陶芸展」(東京・黒田陶苑)

昭和29年(1954) 56 5月『陶器辞典』(志摩書房)刊行
12月「加藤唐九郎新作織部作陶展」(東京上野。松坂屋)

昭和31年(1956) 58 4~7月日本アジア連帯委員会の文化使節団の一員としてアジア、ヨーロッパの各国を歴訪

昭和32年(1957)59 日ソ工芸展実行委員長に就任

昭和35年 (1960) 62 3月「加藤唐九郎個展」(名古屋・丸栄)
8月 永仁の壺事件

昭和36年(1961) 63  服部担風より「一無斎」の号を送られ、これより作品に「一ム才」の銘を入れる
11月「一無斎加藤唐九郎個展」(名古屋・丸栄)

昭和37年(1962) 64 6月『やきもの随筆』(徳間書店)刊行

昭和39年(1964) 66 10月「東京オリンピック記念加藤唐九郎陶芸展」(東京。伊勢丹)

昭和40年(1965) 67 1月毎日芸術賞受賞

昭和41年(1966) 68 11月「炎の陶人・唐九郎展」(名古屋・丸栄)

昭和45年(1970) 72 5月『茶道美術全集第二巻 和物茶碗』(求龍堂〉刊行

昭和47年(1972年)74 5月『原色陶器大辞典」(淡交社)刊行

昭和48年(1973)75 5月 中国政府の招きで訪中、景徳鎮等を視祭
12月「野の陶人唐九郎展」(名古屋・丸栄)

昭和49年 (1974)76 9月 「唐九郎志野茶碗」(求龍堂) 刊行
12月‐日本のやきもの11 瀬戸 (淡交社) 

昭和51年(1976)78 9月 財団法人翠松園陶芸記念館設立

昭和52年(1977)79 10月 『陶芸唐九郎』(毎日新聞社)刊行

昭和54年(1979)81 7月 志野茶碗「紫匂」(立原正秋命銘) 
11月 財団法人翠松園陶芸記念館落成

昭和57年(1982)84 4月『自伝土と炎の迷路』(日本経済新聞社)刊行
5~6月 「加藤唐九郎の世界展」(東京・伊勢丹、名古屋・丸栄)

昭和59年(1984)86 5月 『かまぐれ往来』(新潮社)刊行
10~12月 「志野・黄瀬戸・織部―桃山と唐九郎展」 (名古屋・丸栄、東京・有楽町西武、京都・高島屋)

昭和60年(1985)87 12月24日死去